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一人称VRの世界は映像編集の表現を超えていくのか

ゴールデンウィーク明けましたね。皆さんどうお過ごしてしたでしょうか?うちは今年は比較的ゆったりとしていて、家族と過ごす時間も多く取ることができました。

そう、その間に行ってきたのは「レディ・プレイヤー1」。皆さんもう見ましたか?

VRによる仮想世界を題材にした映画ですが、仮想現実の遊び場でどう遊ぶのか?そんな少し先の未来がすごくリアルに書かれていてドキドキさせられる映画でした。

VR、すごくリアルな仮想現実の世界が身近に体験できる世界になったら「映像制作」ってどうなると思います?そんなことを考えたり。

だって仮想現実の世界って何もかもが自由自在じゃないですか?現実にはありえないものを創造して、その世界に入って 異なる自分と世界を体験することができる。こんな世界が実現したらみんなが夢中になってしまうのもわかるような気がします。

翻って今の広告業界といえば、静止画像から映像への大きなシフトが起こっていると言われています。さらにその先にはVRに関連付けられた広告というのも出てくる景色が想像できます。(映画の中でもVRの世界を独占し、その中に広告を出すということを言われていましたね)

リアルな現実の映像制作って、世界のある視点から見た景色を、時間を切り貼りしてストーリを繋げる手法と言えます。その物語は時に感動を生み、涙、学びを生むこともあります。一般的には、一人称の視点ではなく、複数の視点からの見方を体験できる方法だということもできます。

そしてこの「時間と視点を切り貼りする」という手法、完全一人称に没入するVRの世界とはやはり少し違う世界かもしれません。

その違いにより映像視聴という体験が、VRの娯楽世界に置いていかれるのか?

もしくは、この映像的視点というものが、もうひとつの表現の方法として残っていくのか?

(もしかして、VRの世界の中でのカメラマンという職業が成り立つのか???)

こればかりはわかりませんが、 私が信じている映像の力、物語の力、その表現に少し幅を広げるものとして必ずVRの技術というのは、今後絡んでくると思います。楽しみな未来ですね。

とりあえず、一緒に見に行ったうちの子たちは、ダンボールでVRゴーグルを作るのに今夢中です。(そりゃ、あの世界私も欲しいよ)

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